商売としての経営学研究者

経営学の研究者を商売にするということにまつわるあれこれを考えてみる場です。

商売としての経営学研究者 (Day2)

先日、祖父母の家の近くにあるロート製薬本社の近くをぶらぶら歩く機会がありました。(今は本社ではないかもです)

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この辺りは一応「東大阪」と呼ばれる町工場の多いエリアで、周囲にもなんとか製作所とか、なんとか鉄工所とか、なんとか化学とか、が数多くありました。ちなみにうちも元々はなんとか理化ガラスという工場で、ロート製薬に目薬の瓶を納入していたサプライヤーだそうです。

ロート製薬も創業時は同じようなサイズの工場だったのが、成功して大きくなった、「地元の星」なんだろうなと思います。(会社の前の道は心なしか他よりもきれいな気がしました)

 

で、まあ平日の日中にその辺をぶらぶらしてるのはお年寄りか経営学研究者なわけですが(?)、いろいろと思うところがあったので書いておきます。

まず、大阪のイケてる町工場は外からちょっと見ただけで分かるほど、働いている人たちに活気があります。また工場がきれいです。(整理整頓など5Sの意味で)

これが日本のものづくりの現場は生産性が高い(東大、藤本隆宏先生)と言われるゆえんかと、体感しました。一方で帰りの通勤時間に京阪電車に乗ると、ホワイトカラーと思われるスーツを着た方々は、なんとなくよれよれしてるように見えました。実際、日本の労働生産性は低いとよく言われますが、製造業の現場は高く(リーン、無駄取り、改善などなど)、ホワイトカラーは低いので、総じて低くなっているからです。

何が言いたいかというと、日本のGDPの約20%を占める(先進国ではドイツと並んで高い)ものづくりの現場は、コスト削減、高い品質管理に努めている。しかし、その製品の売り方であったり、儲ける仕組みであるビジネスモデル、要するに「商売」があんまりうまくないようです。(この部分はもう少し議論が必要)

 

とするならば、ここは経営学研究者の出番ではないか、と歩きながら思いました。

僕は、研究者は立ち位置(ポジション)や視点・ものの見方にバリューがあるとかねがね思っています。具体的には、大局、俯瞰、客観視というキーワードでしょうか。その分析(例:他社との比較)によって、その会社の現在地を示すこともできると思います。また論文という世界中の経営学についての知識にアクセス(解読)できる存在であるということも、指摘しておきます。

一方でビジネスの現場の人(よく実務家practitionerと論文には書かれていますが)、日々色々な課題に直面されており、現場のことは誰よりもよく知っておられると思います。しかしあえて言えば、日々の仕事・業務を遂行することがメインであり、自社の強いところ、あるいはうまくいってないところを改めて分析する機会は、そう多くないのではないでしょうか。

このような立ち位置や日々の活動が異なる研究者researcherと実務家が、対話をすることで価値が生まれると私は考えます(一人称が不安定笑)。研究者のセンセイは講義では前に立って色々言ってますが、別にこうすればビジネスがうまくいく!という答えsolutionを持っているわけではありません。もっと踏み込めば、それを編み出すことも研究者の仕事ではないと思います。

あくまでも対話のパートナーであり、相互作用interactionを通して、お互いに答えを探すことが、理想の関わり方(関係性)なのではないかと僕は思っています。つまりは「検査」や「診断」が主な役割かなということです。(あくまでも仮説です。今後、検証していきたいと思っています。パートナーの方募集中)

 

「商売としての」というタイトルなので、このような役割がどのようにお金につながっていくのか、についても考えたいと思います。すぐに思い浮かぶのは、共同研究という形で、企業側(あるいは個人?)から人件費として少しのお金をいただく、という形です。

もう1つ考えられるのは、ビザスクなどのスポットコンサルのプラットフォームに登録して、コンサルっぽくやるイメージでしょうか。

 

そろそろ30分なので今日はここまで。

下書きがあるとはいえ、30分あればかなり書けますね。

 

つづく

Day3↓

 

academic-dokusho-memo.hatenablog.com