商売としての経営学研究者

経営学の研究者を商売にするということにまつわるあれこれを考えてみる場です。

商売としての経営学研究者 (Day4.1)

前回のよく分からないブログ↓の続きです。

 

academic-dokusho-memo.hatenablog.com

 

「商売としての」というキーワードなので、やはり考えるべきはお金を含めた対価、報酬のこと。この部分は会社員employeeや大学教員であれば、お給料が毎月一定額もらえるので、あまり考える必要はない(機会がない)かもしれません。しかし、フリーランスや自分で商売をしていこうという人にとっては、もっとも重要であり、難しいところではないかと思います。

 

まず、個人プラットフォームとして、アカデミックな人材、アカデミックな知識、などなどの仲介役という立ち位置が現状のアイデアです。

で、共同研究契約(この表現にはこだわり有)を結ぶ。例えば、toCの個人がクライアントであれば、パーソナル・トレーナーのイメージです。

月額5000円(友だち割?で4000円(2割引き))(他に1万円、3万円のプラン?)で月1ミーティングとか。

まず、この部分の相場がよく分からない。仲介役という立ち位置は個人的に納得感はあるが、では具体的に「どれぐらいの人数を紹介するのか?」「どの程度の知識・情報提供を行うのか?(例:リサーチ時間)」というパッケージを考えるのは難しい。

 

話は飛びますが、執筆者はインタビュー調査をするので、それに協力して下さる人がいます。それ自体はとてもありがたいことです。ただ、現状ではボランティア、あるいは将来への投資という感じだと思います。しかし、投資へのリターンを明文化していないので、「ありがたい」とは思いますが、なんだか申し訳ないような気もします。それにどのようにお返しをすればいいのか、もやっとしている。

このとき、小切手のような権利証書を用いることを考える。

協力していただいたお礼(薄謝ですが。。)として、イベントへのご招待、相談1時間、情報共有、人の紹介、リサーチの請負、などを挙げてみました。

 

なぜこのような契約としての明文化にこだわるかというと、「事前の取り決めがある方が、お願いしやすいのではないか?」という仮説があるからです。

つまり、相談に乗ったりすると、その場では「ありがとう!」と感謝されるが、そのお返しを後で、何かしらのお願いという形で請求しにくい気がするからです。感謝を可視化できた方が、いろいろスムーズにお願いができる気がします。

この可視化の方法はかなり精緻に突き詰めて考える必要があります。ビジネスライクになりすぎても、それこそ友人関係が崩壊しそうだし、かといって友だちだからいいよいいよ、というのもなんか違う気がする。もちろん他者の役に立つのは嬉しいが。

母の日の肩もみ券=日頃の感謝をこめた贈り物

これを使う母の気持ちはどうなんだろう?別に普段から肩もみとかをしている気がするし、わざわざその券を使う必要はないとも考えられる。

しかし、母には感謝しているが、それを殊更改めて口に出すのは気恥ずかしい。母も無償の愛かもしれないが、ちょっと今日は疲れたから肩もみしてほしい、代わりにご飯を作ってほしい、みたいなこともあるだろう。=家庭内通貨

ヘルプを求める行動をhelp-seekingと経営学では呼びますが、これには心理的なハードルが多い。その相手にgivingしたという気持ちperceivedがあれば、やりやすい。自分のお願いを正当化できる。それに事前にお返しの選択肢が記入されていれば、より使いやすい。そのあたりをうまく可視化するような仕組みができると、ヘルプが円滑に流れる、いい感じの社会になるような気がする。

 

注)これはあくまでも依頼、相談があった場合です。特に長期プロジェクトのように共同研究として進めていく場合に、このようなスキームを用いることを考えています。

1回2回の相談で、リターンをちまちまと求めるのはどうかとは思いますし。

 

近々で相談を受けていることがあるので、そのときに実験してみようと思います。

例えば時給3000円だとして、1時間の相談を受けた場合、3000円の報酬が発生することになります。これをお金でいただいてもいいですが、例えば依頼者とおもしろい友人と3人でランチ会を設けて、1000円分のご飯をおごってもらう、みたいなのもいいかなーと。つまり、こういう支払い方もあるよ、という選択肢を用意することが次にすべきことですかね。

 

知り合いでない人からの依頼(あまり想定しにくいですが)の場合は、弁護士さんの法律相談のように1時間いくらで、チャージすることになるかとは思います。お金以外のリターンを見ず知らずの人に求めるのはお互いに気まずいですし。

 

しかし、書いていて、お金や対価のことはおおっぴらに言いにくいなとも感じました。見返りを求めない贈与とか、give,give,giveとか、もちろんそれらが循環している、いつか返ってくるのだとは思います。が、それを証書として可視化したらどうなるのか、ということを検証してみたい気もします。契約として決まってる方が、後々にヘルプが必要になったときに頼みやすいというのもある気がします。当然の権利という感じで。遠慮するのも美徳だとは思いますし。

 

相変わらずよく分からない感じです。。m(__)m